太宰府天満宮の曲水の宴は毎年、3月の第一日曜日に行われています。
平安時代さながらの、雅な世界が再現されます。
そこには文字通り、曲水川が流れています。
十二単の衣装はもちろん、雅な雅楽に乗り詩歌を読む古人の姿は見る者を平安時代へ誘いますよ。
目の前で、昔の宮中行事が行われるのを観覧できます。
ちょうど、陽春に飛梅もほころび、ロケーションも抜群です。
私が大宰府天満宮で曲水の宴を観たときの様子とか、観覧のコツを教えますね。
太宰府天満宮の「曲水の宴」
3月の第一日曜日に、福岡県太宰府市の太宰府天満宮で「曲水の宴」が執り行われます
以前から、曲水の宴を見たいと思っていたのですが、なかなかチャンスがなくて、見逃していました。
夕方、テレビのニュースで知り、「今日は曲水の宴があったんだ・・・観たかったなぁ・・・」みたいな感じです。
今年こそ見逃さないようにしたいと思い、日時を確かめて、気合を入れていました。
当日は天気にも恵まれて、とてもステキな曲水の宴を見ることができました。
行ってみないとわからないことがたくさんあります。
私の体験を踏まえて、上手な見学の仕方を教えちゃいますね~
太宰府天満宮 曲水の宴とは?
そもそも、太宰府天満宮の曲水の宴とは?
「曲水の宴」は、平安時代の宮中行事を今に再現する禊祓(みそぎはらえ)の神事です。
十二単(じゅうにひとえ)をまとった姫をはじめ、平安装束に身をつつんだ参宴者は、曲水の庭の上流より流れてくる酒盃が、ご自分の前を過ぎる前に和歌を作り、お酒をいただくという雅(みやび)な神事です。
太宰府天満宮は菅原道真公が祀られる学問の神社です。
京都から太宰府に流された道真公を追って飛んだ梅の花が落ちて大木になったという『飛梅』の伝説の神社。
本殿の右横には「飛梅」があります。白梅です。
左には紅梅があります。
飛梅をはじめ、梅が有名な太宰府天満宮には多くの種類の梅があり、1月終わりから3月はじめまで楽しむことが出来ます。
現在の曲水の宴は、平安装束をまとった人たちがしずしずと行列をしながら、ご本殿を参拝します。
私が観覧した年は松本幸四郎さんが、平安装束をまとって行列に参加されていました。
メチャクチャ、男前でした~
和歌は、松本幸四郎さんの歌が一番に詠まれていました。
太宰府天満宮 曲水の宴の観覧のコツ
初めての曲水の宴で、いったいどうしたらいいのかわからなかったので、とりあえず早めに行きました。
11:00から観覧席に入場予定だったので、10:30には着くように行ったのですが、そんなに早くはなかったです。
行ったらすでに大行列!
最後尾の看板のところに急いで行って並びました。
入場までの待ち時間は30分なのでつらくはないのですが、何しろ春の陽気で暑くて・・・
紫外線がきつかったです。
当日は1,100席設けられていて、曲水の庭の前に階段式のやぐらが組まれていていました。
できるだけいい席に座りたいのが人の気持ちです。
どのあたりがいい席なのか、どこで何が行われるのかもよくわからず、とりあえず端っこですが一番前の席に着席できました。
太宰府天満宮には曲水の宴を行う専用の曲水の庭と言うものがあります。
文字通り曲水川が流れています。
曲水の庭が見下ろせて、全体像は見えました。
後ろの方は多分見えにくいでしょうね。
前の席でも、梅の花に隠れて全体は見えにくかったです。
見どころは「白拍子の舞(しらびょうしのまい)」と神楽舞「飛梅の舞」です。
雅な雅楽(生演奏)で舞が踊られます。
そのあと、いよいよ「盃の儀(和歌朗詠)」です。
古代では即興で作り、水の流れに乗って杯が通り過ぎる前に詩歌を詠めなかったら、「罰杯です。さあ一杯飲んでください。」となります。
詠めたら、「お見事です、さあ一杯。」となります。
詠めても、詠めなくても、お酒は飲まされるんですね。
曲水の宴は平安貴族の社交の場でした。
十二単を着たお姫様役の雅な女性も、和歌をしたためたあとは、盃のお酒を飲むそぶりをしていました。
曲水の宴は13:00から始まり、終わるのが15:00頃です。
雅な方々は「終納の儀」で社務所へ参進されます。
私は混雑を避けて、早めに階段を下りて本殿にお参りに行きました。
(これがのちのラッキーの元です!)
曲水の宴の撮影のコツ
望遠レンズの付いたカメラだと、しっかりと撮影できると思います。
私は一番前でしたが、カメラが不調でスマホで撮ったので、人物が小さくなりうまく撮れていません。
できるだけ前の方で、望遠レンズをうまく使ってください。
それから、これは偶然だったのですが、社務所へ参進される雅(みやび)な方々の行列に出会えました。
遠くからしか見えなかった松本幸四郎さんが、目の前を通って行かれました。
本当に、たまたまです。
ラッキーなシャッターチャンスでした。
社務所の前で、みなさんで記念撮影が始まったので私は帰りましたが、もし行列を近くで撮影したかったら、「終納の儀」で社務所へ参進されるときがおすすめです。
社務所を出発されて、曲水の庭に来られるときは、沿道は人だかりでメチャクチャ込んでいます。
写真もなかなか撮れないと思います。
ところが、「終納の儀」で社務所へ参進されるときは見学の方が帰られた後なので、人が少なくて、余裕で撮影できました。
撮影のチャンスは曲水の宴が終わった後にもありました。
松本幸四郎さんをまじかで見られてうれしかったです~男前!!
途中でカメラが壊れるというアクシデントがあり、スマホのカメラになりましたが、バッチリ幸四郎さんが写っていて「やった~」です。
菅原道真公と大宰府
菅原道真公は類まれなる才能の持ち主であり、人々から厚い信頼を得ていました。
しかし、その生涯は、政略による左遷など波乱万丈のものでした。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇りつめました。
その後、国家の発展に尽くされたのですが、左大臣 藤原時平の政略により、身に覚えのない罪によって大宰府に突如左遷されることとなりました。
菅原道真公は家族との十分な別れも許されないまま京都を離れことに。
その際、ご自宅の梅の木に別れの歌を詠まれました。
それがこちらの有名な句です。
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」
意味は・・・
「春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。
主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。」というものです。
没後、道真公は太宰府天満宮に永遠に鎮まり、「学問の神様」・「至誠の神様」として現代に至るまで永く人々の信仰を集めています。
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」は高校時代に習った有名な句ですが、ちょっと疑問がありました。
実は、この句には語尾が違うものがあります。
「こちふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな」(菅原道真 拾遺和歌集)
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」
この歌の最後が違うんですが、どうしてでしょうか?
ちょっと調べてみました。
拾遺集→「春を忘るな」
大鏡→「春な忘れそ」
勅撰集である拾遺和歌集には「春を忘るな」となっていて、大鏡の時平伝では「春な忘れそ」となっていたそうです。
「宝物集」「十訓抄」など後世の話には「春な忘れそ」と見えるようなので、後に変化した可能性はあるらしいです。
どちらが正しいのかと言えば、両方正しいと言えるのではないかと聞きました。
両方、後世まで伝わっているわけですから。
まとめ
私が初めて太宰府天満宮の曲水の宴を観覧したときは、13:00から始まる曲水の宴に、10:30から並んで待ちました。
長い待ち時間のために、本などを持参するのをおすすめします。
スチールのイスなので、おしりが痛かったです。
100均の折り畳み座布団を持参されるといいと思いますよ。
私が観覧したときはお天気にも恵まれて、いい曲水の宴でした。
雨だと文書館内で執り行われるため、観覧が制限されるそうです。